従来の政治任用ポストであった政務次官は、権限も小さく役割も不明確であったため、「省庁の盲腸」と揶揄され軽んじられてきた。この点を反省し、
1999年に、国会審議の活性化と政治主導の政策決定システムを確立するため、国会における
政府委員制度を廃止し、政務次官を廃止し、副大臣と大臣政務官を置くことなどを定めた「国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律」により設置されたものである。副大臣には、適材適所の実力者を登用して国会答弁に当たらせることが期待された。また、法律上の根拠がなかった政務次官会議に代えて、明確な法律上の根拠(同法第9条)を持つ
副大臣会議を創設、権威付けと実質的な省庁間の政策調整が行われることも期された。
副大臣・大臣政務官制度への移行が議論されていた
第2次橋本内閣・
小渕内閣においては、重要官庁の政務次官に閣僚経験者を充てる試み(
高村正彦・外務政務次官、
谷垣禎一・大蔵政務次官、
町村信孝・外務政務次官など)がなされるなど、新制度の効果的な活用が期待されていた。しかしながら、新制度が導入された後の閣僚人事においては、若手の抜擢や民間人の起用などが注目された小泉政権下においても、副大臣・大臣政務官人事については派閥順送り・年功序列型の慣行がほぼ踏襲されるなど、大きな変化が見られないとする評価もなされた。(1年生議員である
片山さつきが経済産業大臣政務官に就任したことが話題になったことはある)。続く安倍政権においては派閥の推薦をそのまま受け入れるのではなく、推薦リストをもとに総理や党幹部が決定するというスタイルがとられ、
福田改造内閣では閣僚経験者の2人(
高市早苗(経済産業)、
鴨下一郎(厚生労働))が副大臣に就任するなど、新しい方向での模索もなされている。