江戸時代初期の諸大名は、幕府の普請動員に応えるために、自らの領内の支配体制を整える必要があった。将軍が諸大名に対して強大な権力を誇示したように、藩内においては
藩主自らを頂点とした体制を固めさせられることになったのである(「藩体制の成立」と呼ばれる)。
家老・一族と藩主との権力闘争は軋轢を生み、多くの
御家騒動を引き起こした。また、外様大名は手伝普請に動員されることを通じて、幕府の軍役体系に組み込まれていった。
江戸時代の初期には、各藩が費用を負担し、実際に藩が取り仕切って普請が行われていた。しかし、時代が下るにしたがって、落札した
町人などが現場の責任を負う請負形式が多くなり、さらには金納化も進行した。そして、
安永4年(
1775年)以降は完全に金納化が通常の形となった。基本的には、各藩は費用を負担するだけとなり、幕府が直接担当役人を派遣して指揮監督するようになった。