明により北へ逐われたモンゴルは通商を求めて侵入を繰り返したため、北方での軍事費増大は中国国内での
銀不足を招き、銀需要が発生。1523年に日本の朝貢使節同士が衝突して
寧波の乱が起こり海禁が強化されると、生活を奪われた人々は武装密貿易や
海賊活動に転じ、再び倭寇(後期倭寇)が活発化する。明朝は「北虜南倭」と呼ばれる外敵の防衛に追われる事となった。中国東南の沿海には密貿易の拠点が出現し、日本の博多商人や東南アジアのポルトガル人らも参加、
王直や
徐海らの頭目が活躍する嘉靖大倭寇と呼ばれる状況になる。有力商人や紳士らも活動を支援し、
新大陸や日本の銀を仲介。